大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和52年(行ウ)365号 判決

原告 松本清

被告 佐藤文男 外三名

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らはそれぞれ東京都に対し、各金一五万円を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は東京都の住民である。

2  被告佐藤文男は昭和四七年七月八日から同五二年七月二日まで東京都教育委員会教育長の職にあつた者、被告伊藤昇は昭和四二年一〇月一一日から、被告橋川ちえは昭和四四年一二月六日から、被告寺川文夫は昭和四七年七月一〇日から、いずれも東京都教育委員の職にある者である。

3  訴外加藤一男は、東京都立芝商業高等学校(定時制課程)教諭の職にあつたが、昭和五一年九月二七日東京都教育委員会(以下「都教委」という。)に対し退職願を提出した。都教委は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第二三条第三号に基づき、同月三〇日付をもつて加藤一男の退職を承認する旨の処分(以下「本件退職承認処分」という。)をし、同人に対し東京都の職員の退職手当に関する条例(以下「退職条例」という。)に則り、退職手当として昭和五一年一一月一五日金二五一〇万三五二〇円、昭和五二年八月六日金一五九万一二〇〇円、以上合計金二六六九万四七二〇円を支給して公金を支出した(以下「本件公金の支出」という。)。

4  しかしながら、都教委がした本件公金の支出は、以下の理由により違法である。

(一) 加藤一男は、昭和一七年八月三一日東京市立神田区神田青年学校教諭となり、次いで同一九年一一月三〇日から同五一年九月三〇日までの間、東京都立芝商業高等学校教諭(その前身である東京都立芝商業学校教諭を含む)として在職していたが、右在職の期間中、次のとおり私立学校に非常勤講師又は教諭として重ねて就職していた。

〈1〉 私立攻玉社商業高等学校

昭和一七年四月一二日から同四六年三月三一日まで非常勤講師(但し、同二〇年二月一日から同二二年三月三一日までの間は教諭)

〈2〉 私立慶応義塾中等部

昭和一八年四月一日から同一九年三月三一日まで嘱託、同二二年四月一日から教諭、この間昭和五一年六月一日には中等部長(校長)に就任

(二) ところで教育公務員が教育に関する他の職を兼ねる場合は任命権者の承認を受けるべきものであり(教育公務員特例法第二一条。なお東京都の場合、任命権者である都教委は承認権を都教育長に委任し、都教育長は更にこれを都立学校長に委任していた。後記被告らの主張参照)、ことに昭和三〇年九月三〇日付「校長及び教員の教育に関する兼職等について」と題する東京都教育長の通達により、従前承認を受けていないものについては同年一〇月三一日までに承認を受くべきものとされていたのに、加藤一男は所定の手続をせず、承認を得ないで(一)のとおり私立学校に二重に在職し、兼職の事実を秘匿していたのであつて、このことは地方公務員法第二九条第一項第一号又は第三号に該当し、また都立高等学校教諭として在職しながらこのような兼職を続けていたこと自体同法第三五条の職務専念義務に違反し、この違反は同法第二九条第一項第一号又は第二号に該当する。そして以上の非違行為に対しては懲戒免職処分に付するのが相当である。

(三) 被告らは都教委の委員又は教育長として、加藤一男が提出した前記3の退職願を処理するに際し、同人が右(一)のとおり私立学校に重ねて就職するという兼職の事実を知つていたものであり、また仮にこれを知らなかつたとしても、職務上の注意義務を尽していれば容易に知ることができたものであるのに、注意義務を尽さず、右退職願をたやすく認めて、本件退職承認処分をした。

被告らが加藤一男の兼職を知り得たことに関しては、特に次の事情がある。

(1) 都教委は、昭和二五年六月六日連合軍最高司令部から公職追放令が発せられた際、全教職員の履歴の再確認を行なつたが、そのとき十分確認すれば、履歴書の不実記載を発見し得た筈であり、その後も指導を厳格にし、履歴書を確認する機会は十分にあつた。

(2) 加藤一男が在職した学校の勤務時間は、最近の二年間については、〈1〉芝商業高等学校、一三時二五分から二一時三〇分まで、〈2〉攻玉社商業高等学校、八時二〇分から一五時まで、〈3〉慶応義塾中等部、八時一〇分から一四時二〇分まで、と定められていた。このことから見ても同人は芝商業高等学校に在職中、出勤時間を守れず、遅刻することなどがあつた筈で、同校の監督者は相当の注意をすれば兼職の事実を知り得た筈である。

(3) 加藤一男は前記のとおり、昭和五一年六月以降慶応義塾中等部長の職にあつたものであるから、学校職員名簿、校長名簿等にその氏名が登載されていた筈である。

(四) 以上のとおりであるから、本件退職承認処分は、本来懲戒免職処分をもつてのぞむべき案件につき、被告らが注意義務を怠つてこれを看過し、又は裁量権を濫用してなした違法な処分であり、本件公金の支出は右違法な処分を前提としてなされたものであるから、違法な公金の支出にあたる。

5  ところで、職員が懲戒免職処分に付された場合、退職手当受給資格を喪失する(退職条例第一一条)のであるから、東京都は違法な本件公金の支出により、前記3の合計金二六六九万四七二〇円の損害を被つたことになり、右損害は被告らの故意又は過失に基づくものであるから、被告らは東京都に対しその賠償の責に任ずべきものである。

6  原告は、昭和五二年六月二二日東京都監査委員に右損害を填補するため必要な措置を講ずるよう求めたところ、同委員から、同年一一月三〇日付書面をもつて、原告の監査請求は理由がない旨の通知を受けた。

よつて、原告は、東京都に代位して被告らに対し、右損害賠償金の内金として、それぞれ金一五万円を東京都に支払うよう求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2、3の事実は認める。

同4(一)の事実は認める。

同4(二)のうち、懲戒免職処分に付すべきであつたとの点は争うが、その余は認める。

同4(三)のうち、(2)の勤務時間に関する主張のうち、〈1〉は認めるが、〈2〉、〈3〉は不知、その余の事実は全部否認する。

同4(四)の事実は否認する。

同5のうち、退職条例の規定の点は認めるが、その余は否認する。

同6のうち、原告が本件につき監査請求前置の手続を経たことは争わない。

三  被告らの主張

1  都教委が本件退職承認処分をした際、教育委員又は教育長の職にあつた被告らは加藤一男が兼職していたとの事実を知らず、かつそのことについて何らの過失もなかつたから、被告らが損害賠償の責任を負う理由はない。

(一) 教員は教育公務員特例法第二一条第一項により任命権者の承認のもとに兼職ができるものとされ、東京都の場合任命権者である都教委は「東京都教育委員会の権限委任に関する規則」(昭和三一年一二月二七日教育委員会規則第一九号)第二条第一二号により兼職の承認に関する事項を教育長に委任し、更に教育長は「教育長の権限に属する事務の一部委任について」(昭和三九年四月一日三九教人勤発第五〇号)によりこれを都立学校長に委任している。そして承認の基準については「学校職員の兼職の取扱について」(昭和三八年二月二一日三八教人職発第二号)により高等学校定時制課程に勤務する教職員が小・中学校又は高等学校全日制課程の非常勤講師を兼ねる場合は特例を除き週八時間を限度とする旨定められている。

(二) 都教委は教員の兼職について次のとおり指導を十分行なつて来た。

〈1〉 昭和三〇年九月三〇日都教育長は公立学校長宛に「校長及び教員の教育に関する兼職等について」(教職発第一九一号)と題する通達を発し、兼職の承認の条件、承認手続等につき要綱をもつて徹底させるとともに、従来兼職承認願提出不履行や提出遅怠のあつた事実を指摘し、かかることのないよう各教員に留意を促した。

〈2〉 昭和三八年二月二一日都教育長は公立学校長宛に「学校職員の兼職の取扱いについて」(三八教人職発第二号)と題する通達を発し、兼職等の承認の範囲、校長の措置、非常勤講師の職を兼ねる場合の兼職時間数制限等について十分留意するよう指示した。

〈3〉 昭和四七年一二月九日都教育長は公立学校長宛に「教育関係職員の服務の厳正について」(四七教人職発第一〇一号一)と題する通達を発し、勤務時間中のアルバイトの絶対禁止を強く要請した。

〈4〉 昭和五二年五月一一日都教育長は都立学校長他宛に「学校外学習活動の適正化について」(五二教指管発第一一五号)と題する通達を発し、父兄の信頼が損われぬよう服務の適正を要請し、アルバイト等の禁止、兼職については教育公務員としての信用を傷つけないよう注意を喚起した。

右のように都教委は必要に応じその都度学校長宛に通達を発し、芝商業高等学校校長はその都度職員会議においてその趣旨の徹底をはかり、かつ職員室に掲示し教職員への徹底に努めていたのである。

(三) 昭和五一年九月当時の芝商業高等学校定時制課程教職員の月曜日から土曜日までの勤務時間は午後一時二五分より午後九時三〇分までであつたが、授業時間割りは別表(3)記載のとおりであり、第一時限の開始は午後五時三〇分であるから、教職員の出勤は午後五時(但し毎週水曜日は職員会議が開かれるので午後四時三〇分)でよく、それまでの間は自宅研修が承認されていた。加藤一男の昭和四八年度以降同五一年度九月までの受持時間数と時間割りは別表(1)のとおりであり、校務分掌は別表(2)のとおりであつて(なお別表(2)に生徒部長とあるのは生活指導主任と同一の意味であり、主として教科以外の生徒のしつけ指導を担当するものである。)、他の教職員の勤務状況と何ら異つたところはなく、むしろ生徒指導、珠算指導に熱心であり、遅刻等は殆んどなかつた。

原告は加藤一男の勤務時間の関係上同人の監督者としては容易に兼職の事実を知り得た筈であると主張するが、同人の勤務の実状は右のとおりであつて疑念を生ぜしめるような事実は何ら存しなかつたのであり、同校校長としては加藤一男の兼職の事実を了知し得なかつたのであり、これについて校長及び被告らには何ら責むべき過失はない。

(四) 原告は都教委が履歴書を確認していれば兼職の事実を知り得た筈であると主張する。

しかしながら「公立学校職員ノ進退並ニ職務ニ関スル規程」(昭和一六年七月一九日東京府訓令第三〇号)によれば履歴に異動を生じたときはその都度学校長を経由して知事(教育委員会)に届出ることとなつているものの実際の取扱いは履歴カードに記入欄があるものに限られており、従つてその範囲は、(1)氏名変更、(2)本籍・現住所の変更、(3)上位の学歴、(4)上級の教員免許、(5)他教科への選考合格、給料改訂、昇給、人事異動であり、兼職や叙位、叙勲は記入されないことになつている。原告が指摘する昭和二五年六月六日の公職追放命令は対象者を勤務成績不良のもの、職務能力の低いもの及び学校経営上非協力のものを対象としたのであつて、その際履歴書を再提出させたことはない。また昭和四二、三年ころ事務処理上縦書きから横書きへの書替えが行なわれ、その際履歴内容の訂正を認めたが、それは本籍・現住所の変更のみであつた。

このように履歴書には兼職の事実が記載されることはないから都教委としては加藤一男の兼職の事実を知る由もなかつたのである。

(五) 原告は校長の名簿等により加藤一男が慶応義塾中等部長を兼職していた事実を知り得た筈であると主張する。

しかし私立中学校の監督庁は知事であり(学校教育法第四〇条、第三四条)、加藤一男の校長就任届は慶応義塾中等部より都知事(担当は総務局学事第二課私立小中学校係)に提出されたのである(同法第一〇条)。都知事と都教委とはそれぞれに独立した行政機関であり、私立学校に関するものはすべて都知事が処理しているため、都教委はその内容を知る由もないのである。

(六) 加藤一男から退職願が提出されたのは昭和五一年九月であるが、その理由は親戚の者が経営する会社(有限会社二田商会)を手伝わなければならないというのであつて、以上の事実によれば被告らが加藤一男の兼職の事実を知らなかつたのはやむを得ないところであつた。従つて同人の兼職の事実を見逃して本件退職承認処分をしたことを理由とする本訴請求は失当である。

2  本件公金の支出は、退職条例第六条第一項並びに「職員の退職手当に関する条例第五条第一項及び第六条第一項の要件等を定める規則」第三条第二、三号に則り、適正に算出された金額が、「退職手当支給手続規程」により、所定の手続を経て支給されたものであつて、この点に何ら違法はない。

3  その後東京都は加藤一男から退職手当の一部金一六一五万円を昭和五二年八月一二日返還を受け、都の歳入とした。ところで諭旨退職処分がなされた場合の退職手当の金額は、普通退職の場合の支給額の一〇〇分の四〇以上一〇〇分の八〇以下の額とされているのであるが(退職条例第八条)、右のような処理をした結果、加藤一男に対する退職手当の実質的支給額は同人が諭旨退職処分を受けた場合の所定の支給額の範囲のほぼ中間程度の額になるのであつて、この処置は都立高校教諭に対する諭旨退職処分の前例と対比しても妥当であり、東京都には実質上の損害はない。

四  被告らの主張に対する原告の認否及び反論

1  被告らの主張1について、その冒頭の主張は争う。

(一)の事実は認める。

(二)の事実中、〈1〉は認めるが、その余は不知。

(三)の事実中、芝商業高等学校定時制課程教職員の勤務時間、加藤一男の受持時間数と時間割り及び校務分掌の点は認めるが、同人の勤務状況の点は不知、その余は争う。自宅研修なるものは極めて漠然としており、また自宅研修といえども勤務時間内であるから監督者が適宜研修場所に連絡するのが当然であり、不在であれば疑念を持つのが当然である。

(四)の主張は争う。

(五)の事実中、私立中学校の監督庁は都知事であり、加藤一男の校長就任届が都知事に提出されたとの点は認めるが、その余は不知。

(六)の事実中、加藤一男の退職願に付された理由の点は不知、その余は争う。退職願が提出された場合、人事院規則八―一二第七三条の趣旨に沿い承認の前提として「特に支障がある」か否か及び同時に地方公務員法第二九条第一項各号の事由がないか否かを職務の誠実な遂行として要求される程度の慎重さをもつて調査すべきであるのに、被告らはこれを怠つた過失がある。

2  被告の主張2は認める。

3  同3の事実中、加藤一男が昭和五二年八月一二日東京都に対し金一六一五万円を納付したことは認めるが、その余は否認する。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1ないし3の事実及び6のうち原告が監査請求前置の手続を経たとの点は当事者間に争いがない。

二  地方自治法第二四二条の二第一項第四号により認められている代位による損害賠償請求訴訟は、地方公共団体の執行機関又は職員が公金の支出等同法第二四二条第一項所定の財務会計上の違法な行為により地方公共団体が被る損害の回復を目的としたものであるところ、都教委が加藤一男に対し請求の原因3のとおり退職手当を支給したことは右のとおり当事者間に争いがなく、これが右条項にいう公金の支出にあたることは明らかである。

しかしながら、被告らが右公金の支出をしたものであるか否かについては証拠上明らかではない。すなわち、退職手当支給決定が東京都教育庁福利厚生部長によつてされることは後記認定のとおりであるし、右退職手当がどのような手続によつて支出されたかを認めるに足りる証拠はない。しかし、この点は暫らくおき、原告は右公金の支出の違法理由としてその前提である本件退職承認処分(これが財務会計上の行為ではないことは明らかである。)の違法を主張するので考えるに、成立に争いのない乙第八ないし第一〇号証、原本の存在成立ともに争いのない乙第一七号証及び証人河内功の証言によれば、退職条例には「退職手当は、職員が退職した場合に、その者(死亡による退職の場合には、その遺族)に支給する。」(同条例第三条)と規定され、同条例第一一条の支給制限事由がない限り、退職承認処分により退職した者は当然に退職手当の請求権を取得するものとされていること、都立学校の教員が退職した場合の支給手続は学校長が都教委宛の退職手当支給内申書に本人の履歴書を添えて東京都教育庁福利厚生部長に提出(退職手当支給手続規程(昭和三一年一二月一一日教育委員会訓令甲第七号)第一条)し、同部長が審査のうえ支給額を決定し、都教委名義の退職手当額決定通知書を学校長を経由して退職者に交付する(同規程第三条)ものとされていること、右内申書に添付される履歴書は教育庁人事部職員課に保管されている履歴書(その記載内容は後記のとおりである。)の末尾に退職承認がなされた日が記入されたものの写をいつたん学校宛に送付し、これが添付されて来ているものであつて、福利厚生部においては右履歴書の記載事項を調査のうえ退職条例第五条ないし第七条及び同条例の付属規定である「職員の退職手当に関する条例施行規則(昭和三一年一一月六日規則第一一六号)」、「職員の退職手当に関する条例第五条の二第一項及び第六条第一項の要件等を定める規則(昭和四九年三月三〇日規則第三三号)」等により機械的に支給額を計算し決定しているのであつて、非違による勧しよう退職の場合など特別の場合以外裁量の余地は全くないことが認められる。退職承認処分と退職手当支給との間の以上のような関係によれば、退職承認処分がされれば当然に所定の退職手当が支給されるべきこととなるのであるから、右承認処分は退職手当支給の当然の前提をなしているものというべきである。従つて右承認処分が不存在ないし無効である場合には、これに基づいてされた退職手当支給は、その前提を欠くものとして違法な公金の支出となるし、また、承認処分の瑕疵が必ずしも無効原因に当たるとはいえない場合であつても、退職者に懲戒事由があり任命権者において当然懲戒免職処分に付すべきであつたにも拘らず退職承認処分をしたことが違法であると認められるときは、同じく退職手当の支給は違法となると解すべきである。

三1  そこで本件退職承認処分について検討するに、加藤一男が都立芝商業高等学校(定時制課程)教諭として在籍していた期間が請求の原因4(一)記載のとおりであり、同人が同項記載のとおりさらに二校の非常勤講師又は教諭を兼職していたこと、昭和五一年九月当時の同校定時制課程の教職員の勤務時間(月曜日ないし土曜日)が午後一時二五分から午後九時三〇分までであり、加藤一男の昭和四八年以降昭和五一年九月までの受持時間と時間割り及び校務分掌がそれぞれ別表(1)及び(2)記載のとおりであつたこと、教育公務員特例法第二一条第一項所定の教員の兼職に関する任命権者の承認権が東京都の場合被告らの主張1(一)記載のように都立学校長に委任されていたこと並びに都教育長が教員の兼職に関し被告らの主張1(二)の〈1〉のような通達を発していたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一ないし第三号証、第四号証の一、二、証人堀切利高、同藤田幸寿及び同大野慎一郎の各証言によれば次の事実が認められる。

(一)  都立芝商業高等学校定時制課程の第一時限は午後五時三〇分に開始され、生徒が登校するのは通常そのころであり、他方午後五時ころまでは同校全日制課程の生徒が学校施設を使用する関係上定時制課程の教員は一般に午後一時二五分から午後五時までは自宅研修が承認され、出勤は通常午後五時(水曜日は職員会議が行なわれる関係上午後四時三〇分)でよいものとされていた。

(二)  加藤一男教諭は同校において「商業一般」及び「計算実務」の科目を担当していたが、昭和五一年九月までの数年間の授業担当の時限数は別表(1)のとおり毎週一〇ないし一五時限であり、他に毎週一時限の必修クラブ活動として珠算部の指導をし、また昭和四九年ないし五一年度はホームルーム担任でもあつたため生徒の家庭訪問や職場訪問も行なつており、更に校務として別表(2)のとおり生徒部を担当し、生徒クラブの指導と生徒の生活指導にもあたつていた。右のような同教諭の勤務ぶりは極めて熱心であつて、遅刻、無断欠勤などもなく、ことに専門の珠算指導においては優れた指導者であつて、同校校長、定時制課程教頭を初め同僚からの信頼も厚く、優秀な教師であるとの評価を受けていた。

(三)  都教育長は被告らの主張1(二)の〈1〉のほか、都立学校長宛に同項の〈2〉ないし〈4〉のような通達を発していたところ、同校においては右のような通達があればその都度校長が職員会議等において各教員に対しその趣旨を周知徹底させており、加藤一男教諭においてもこれら通達の趣旨は十分了知していたものと考えられるが、同教諭の勤務ぶりは前記のとおりであつたし、同教諭がとつていた年次休暇の日数も毎年ほぼ一〇日程度であり、これは他の教員に比較しても平均的な日数であつて、同校校長及び定時制課程の教頭から見て同教諭の日常行動には同教諭が何らかの兼職を有しているのではないかなどとの疑念を生ぜしめるようなものは何もなかつた。

(四)  同教諭が昭和五一年九月末日限り退職したい旨の退職願を定時制課程の教頭堀切利高に提出したのは同年九月初めころであり、その理由は親戚の者が経営している会社(有限会社二田商会)をどうしても手伝わなくてはならないというのであつた。しかしながら同教頭及び同教頭から報告を受けた校長藤田幸寿は、年度途中であつたうえ同教諭がホームルーム担任でもあり、ことに計算実務の指導者としては極めて優れていると評価される同教諭を失うことは授業等にも支障が生ずると考え、極力慰留したが同教諭の辞意は固く、結局同校長は同教諭に対し非常勤講師として引き続き計算実務の授業を担当するよう説得し、その承諾を得たうえ、「やむを得ないものと認める。」との意見を付して同年九月二七日右退職願を都教委に進達し、都教委はこれに基づき同月三〇日付で本件退職承認処分をした(退職願が右のように、都教委に提出され、退職承認処分がなされた点は当事者間に争いがない。)。

(五)  都教委が本件退職承認処分をした際、都教委には加藤一男教諭の兼職の事実は全く判明していなかつたのであり、他に同教諭の退職承認を妨げる事情も見出せなかつた。なお前記校長及び教頭らが同教諭の兼職の事実を初めて知つたのは昭和五二年六月ころ新聞の報道によつてであつた。

以上のとおり認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

2  ところで地方公務員法は職員がその意思により退職する場合の規定を置いていないが、国家公務員の例(国家公務員法第六一条、人事院規則八―一二の第七一条、第七三条)に準じ、任命権者は職員から退職の申出があつたときは「特に支障のない限り」これを承認するものと取扱うのが相当である。これを本件について見ると都教委は加藤一男からの退職願につき審査した際、同教諭の兼職の事実は判明していなかつたのであり、前記のような学校長意見が付されていたのであるから、このような事実を基礎とする限り同教諭の退職は特に支障がないものというべく、都教委が本件退職承認処分をしたのは当然の措置であつたものというべきである。

原告は、当時同教諭の兼職の事実が判明していれば懲戒免職処分をすべきであつたのに都教委はこれを看過し、又は裁量権を濫用して本件退職承認処分をしたのは違法であると主張するが、地方公務員法第二九条第一項は同項各号の一に該当する非違行為があつた場合「懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。」旨規定し、懲戒処分をするか否か、仮に懲戒処分をするとしてもいかなる時期にいかなる処分をするか等の点は任命権者の合理的裁量に委ねているものというべきところ、同教諭の無断兼職の事実が同項第一ないし第三号に該当することは被告らも特に争わないところであるけれども、同教諭の前記勤務の実情及び成立に争いのない乙第一一、一二号証によつて認められる昭和五一、五二年度の全国の教育委員会における教職員の懲戒処分の実情を合わせ勘案すると、仮に右兼職の事実が判明していたとしても当然に懲戒免職処分を選択すべき場合であつて、懲戒免職処分をしないのが違法であるとまではいえず、原告の主張は理由がない。

3  また同教諭が都立高等学校の教諭でありながら私立中学校の専任教諭を兼ね、更に長期にわたり他の私立高等学校の非常勤講師をもしていたとの事実はまことに非常識な事態であつて、このようなことが可能であつたのは定時制課程教員の自宅研修制度にあり、その管理体制に検討すべき問題点があるのではないかと推測されるが、自宅研修の承認自体は前記学校施設の現状からすれば授業に支障のない限り(教育公務員特例法第二〇条第二項参照)やむを得ないところと考えられるし、前記のとおり兼職の承認権は学校長に委任されていたところ、同教諭は少くとも芝商業高等学校において勤務していた限りにおいては極めて優秀な教師との評価を受けていたのであり、同教諭を直接監督すべき立場にあつた同校校長及びこれを補助すべき同校定時制課程教頭ですら、何ら疑念を生ぜしめるようなものはなかつたのであり、なお一般的な兼職のあり方等については前記のとおり都教委としても都教育長名による指導を適宜行なつていたものというべきであつて、前記事実関係の下においては都教委が同教諭の退職承認案件を審査するにあたり、注意義務を怠つていたとまでは認められない。

原告は、履歴書及び校長名簿等の調査により兼職の事実は容易に判明した筈であると主張するが、成立に争いのない乙第五号証の一ないし三及び証人大野慎一郎の証言によれば、都立学校の教員の人事記録は東京都教育庁人事部職員課において保管しているところ、その中の履歴書(履歴カード)には氏名、生年月日、性別、本籍、現住所、免許状、資格、学歴、前歴及び採用以降の発令事項等を記載すべきこととされているものの、正規の承認を得たものであつても兼職は記載事項とはされていないこと、原告が指摘するような昭和二五年ころの履歴書の再提出の事実はなかつたこと、また原告のいう校長名簿が具体的に何を指すのかは明らかではないが、公式には私立学校が校長を定めた場合監督庁にその旨の届出をしなければならないとされているところ(学校教育法一〇条)、私立中学校の監督庁は教育委員会ではなく都道府県知事であり、(同法第四〇条、第三四条)、東京都の場合具体的には総務局学事部学事第二課私立小中高校係において事務を取り扱つているものであつて、同係に提出された校長選任の届が当然に都教委に知らされる態勢にはなつていないこと等の事実が認められるのであり、原告の右主張は理由がなく、他に都教委を構成し、あるいは都教育長の職にあつた被告らの過失を肯定するに足りる事情の主張立証もない。

4  以上のとおりであるから本件退職承認処分が違法であり、被告らに故意過失があるとの原告の主張はそのいずれにおいても理由がないことに帰する。

四  よつて、原告の本訴請求はいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田耕三 原健三郎 田中信義)

別表〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例